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『ミスト』

キリスト女がガンガン出はじめた時点で、「ああ、こういう感覚分からないんだよなーどうしよう」と思ったけど、意外とそんなでもなかった。

モンスターパニック映画として見ていたのだけれど、振り返って見ると怪獣映画の変奏であって、どうにも楽しめなかったけれどその辺の読み違いのせいはあるだろう。

通常モンスターパニック映画といえば謎のモンスターが現れて、住民とかが殺されて、命からがらぶっ殺す! というのが大筋である。が、本作は命からがらぶっ殺す! が抜けている。ぶっ殺してはいるんだけど、雑魚も雑魚で問題の解決になんらなっていない。

 だから見えないモンスターらのせいで起こった人間らのヒステリー……たとえるなら『蝿の王』のモンスター版とでも考えていたのだが、オチを見て考えを捻るなりしてみてもどうも得心しがたい。

どちらかといえば、作中でも示されるとおりモンスター郡は超自然のそれに近く、科学的解釈が許される存在ではない。強いて言うなら殺されてしまう狂信徒の女の、世迷言のような神の使いという言葉が一番近い。

そこでハタと気づいた。とすると、モンスターというより怪獣と捉えた方が自然だ。

科学の発展により神の領分にまで手を染めはじめた人間に、天罰が下る。それに抗う主人公。とすっげーざっくりと考えるとストーリーも納得がしやすい。

発展しすぎた科学技術への批判と見るのは簡単であるが、しかしそれだと旧来の怪獣映画と変わらない。やはり主人公のとった行動こそが本作をより象徴づけるものであり、それでなくてはここまで話題にならないとも言える。批判が多いのはちゃぶ台返しがすこし唐突にも感じられ、何のための二時間だよ! という所であろう。主人公に感情移入する間が足りなかったのかな。その前か、その後の余韻を増やせばわかりやすいと思うんだけど、とはいえあの唐突感がやりたかったんだろうな、とも。

しかしフランク・ダラボンは怪獣映画やモンスター映画が大好きっぽくて、そんなドラマ部分より特撮がやりたかっただけじゃないかとも思う。あの凝りまくったモンスター描写は、並みの監督ではできない。

しかしそのこだわりゆえにカットするのが惜しかったのか、編集が駄目だったのかはわからないがアクションシーンのモタつきがひどい。そこがどうにも耐えられず、退屈であった。