『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』

監督 クロード・シャブロル

シャブロル流のサスペンスに溢れた映画。

したくないけど、ネタバレします。

web上の評などを眺めると、スリラーの秀作だとか良作だとか書かれたりしてますが、とんでもない。大傑作です。シャブロルは何本か見ていていずれも素晴らしい作品らですが、それらと比べても本作が一番じゃないかなと思います。

フランスのブルジョア一家に家政婦として雇われたソフィー。よく仕事をこなすソフィーだが、徐々に行動の辻褄が合わなくなっていき……。

って感じだろうか。

この作品、原作だと結末が頭2行で示されているらしい。原作は未読だが、webを適当に散策してみると、どうやら障害者の差別意識やら、ブルジョア批判やらに読めるらしい。しかしこの映画をそのように読む人は、筋が悪いと思うわ。

 

以下ネタバレ。

主人公のソフィーは文字が読めない。原作だとそれが冒頭ではっきりと示され、それが理由で殺人を犯したとあるらしい。映画版はそうではない。多分、筋自体はさほど変わらないのであろうが、その構成が大きく違う。まず主人公が文字が読めないことが明かされない。

美人な家政婦として登場する主人公だが、どうも行動に小さな違和感が募る。それは作中の誰もがハッキリとは口にしないが、小さな描写の積み重ねが観客をひたすら不安にする。

あれ? なんでメガネ買わないんだろう。え? 字が読めないの? なんで?

主人公であるはずのソフィーが大きな秘密を持ち続けるために、観客は誰にも感情移入できずにただ不安に苛まれる。

物語の進行に伴ってドロドロとした内面がチラと姿を現しつつも、表層だけは普通を装っており、その乖離がまたスリルを増加させる。そしてソフィーの友人であるジャンヌの過去がボロンと顔を出し、ギリギリの綱渡りを保っていた表層が崩壊しだしていく。明かされていくソフィーの秘密と、ジャンヌの過去と。完全な否定の言葉は互いになく、「証拠はない」という一言だけで問題を先送りさせ、お互いに笑っている。もはや内面の狂気を隠せていない表層だけが、普通の振るまいをし続けている。

恐ろしいのはシャブロルの演出力である。このシーン、冒頭から見ていると、狂気を孕むサスペンスフルなシーンなのだが、しかしシーン単位で見るとおそらく普通に流し見することも出来るくらいサラッとしている。現実のすぐ隣にある狂気、引かれた一線を踏み越える一歩が余りに軽い。

シャブロルは原作の要素であった障害者の被差別意識も、ブルジョア階級との格差(原作はイギリスが舞台らしいからモロなんだろうな)も、物語を煽動するための装置に変えてしまっている。主人公らの行動原理は明確には明かされず、ただ「起こってしまった」だけにも見える。そしてその「起こってしまった」ことを前に、何の解釈も許されずただ呆然とすることしか出来なかった。

映画を見る喜びに溢れた、とても素晴らしい作品であった。