八甲田山』を見たんですけど僕は木村大作があまり得意ではなかったけどこの撮影はすごいな~と思いました あそこロケで撮るのかよ的な意味合いでなく画面も結構いい 雪崩のシーンとかどうやって撮ったんだろうと思うくらい いくら超望遠縦構図とはいえ同一フレーム内に高倉健と雪崩を収めるのは結構頭おかしいのじゃないかな~と思った 望遠の絵面は結構参考になるかもしれないあと自然物の感じとか けど夜叉とか見ても全然ピンとこないんだよね~なんでだろう

編集もカッコよくて、スパッ、スパッ、と尻を切っていくんだよね あれがかっこいいし、あ、こんくらいでいいのか~と参考になる 師団長? が書類に判を押すカットとかすごい好きなんだよね

先週岡本喜八の沖縄決戦も見たんだけどあれもスパッスパッと切っていて(『八甲田山』よりもっとずっと潔い)、これはなんでですかって聞いたら当時の東映っぽい編集(黒澤からの流れ)がこんな感じらしいと聞いたので、ちょっとそのあたりを掘ろうと思いました

この時代の邦画はほとんど見ていない上にその中でも東宝作品は(たまたまなんですけど)見ていなかったのでその辺を掘ってみようかな~と思った

高倉健かっこいい 顔が見えない映画(軍帽をかぶっている上にめっちゃ吹雪いてるし顔に照明があたらん) 顔が見えないとキャラ全然覚えられないんだなあとは思った あとあんまり説明がないんだよね ?ってなるところが結構あった それはキャラがわからないからシーンがわからなくて、というのもあったけれど脚本上でも分かりにくかったはず 脚本が悪いという話ではなく分かりにくいというだけの話です

あと高倉健はやっぱりすごい 顔力が強いというかガンと強い顔がずっと動かないので、あれがすごい しいて言えばイーストウッドとかと近いタイプなのか あのひともずっと同じ顔だもんね基本的に

何か一時間に一度ほど確信のようなものを得ないとだめなのかもしれないということにようやく気付けた

一時間に一度の確信は結構大変だと思うのだがどうだろう

ファーゴのドラマ版を見始めました 1話は面白かったです コーエン兄弟の変人描写はやっぱりうまいなあと思います これはコーエン兄弟ディレクションしてるわけではないだろうけれど 1話はもしかしたらコーエン兄弟ディレクションをしているのかもしれない どちらだろう

編集がOLつなぎとFO 長い黒味 みたいな編集が多かったですね なにか意図があるんでしょうか

脚本的にはすごいゆっくりと描いていますね コーエン兄弟は決定的瞬間をサラッと描くっぽいですね 決定的瞬間というか衝撃的瞬間 間を作ってためて~スッ みたいなのが多い傾向 間を作るけどためないときもあるか 間が少しあって~スッみたいな ファーゴにあった決定的瞬間とは今回なにがあったろうか

 

冒頭の衝突シーンは割と溜めてないか この溜めというのは感情的な溜めのことです 音響ではSE少し不穏なのが先行で入ってはいた まあ感情が動くシーンでなく急に飛び出てくるシーンなのであたりまえなのだけれど

奥さん殺人シーンで まあ伏線で赤潮の話が事前にあって 洗濯機を直そうとする動機付けがあって 失敗して 奥さんに罵倒されて 逡巡というか 半ば冗談のようにぶん殴るんですね で数カットかけて後悔しつつまた殴る 視聴者の感情の流れとしてはまさか殴らないよなという気持ちと本当にぶん殴ったほうがいいんじゃないのかという 主人公は常識的な人間であるから 彼に感情移入している側、ふつうの人間は感情移入すると思うのだが、殴るなよ~とか殴らないよな~みたいな気持ちなので ガツン (あっ……)

このシーンのための彼の常識的であろうとする(やや負け犬的な)倫理観をさんざみせつけてきたわけでガッ あっ 殺し屋に連絡して罪をなすりつけようとする冷静さがあって など

署長をぶっ殺すシーンも殺し屋がピンボケで後ろにいて 主人公それを見てハッとしている1秒半くらいがあって 次カットの頭でいきなり撃ってる やっぱり溜めないんだな~

この話で一番溜めてるところは女警官が家にやってきてポスターを眺めるくだりなんですよね 切り返しTUが6カット続き6カット目で薄~~~く笑う主人公 次カット引き気味の絵でドンとぶつかる

やっぱり殺し屋のセリフがすごい良いんですよねえ~ 全然会話が通じないんだけど彼の中では通じているような感じ

ディレクターはアダムバーンスタイン

脚本ノア・ハウリー? でいいのか

本を読もうとするとなんか数冊一気に買ってしまったりしてしまってどれも中途半端になってしまうような傾向がどうしてもあるのだが

単純にインプットのための読書と趣味としての読書を分けて考えればいけるような気がしてきた??? 今は楽しい体験としての読書をしたいのだがしかしでもインプットのための読書でもおお~となったりするときがあるしなんともいえないものだよね

思えば10年前くらいはSFを少しだけ読んでいたがあれはやはり面白いから読みたいという気持ちが先にあったからででもいつの間にか読まなくなっていたなあれはどうしてなのだろうか

SFを読むのを辞めてしまったのは失敗だった気がする全部ネットが悪いネットにSF小説を読む以上のことはあまり落ちていない気がするがどうなのだろうか

最近は映像なり見ててもうおお~みたいなのが減ったのであまりよくない気がする 新陳代謝しないといけないのだが

心に沈殿物がずっとあって掬おうとしてるんだけどいつも届かない

日記を書こう書こうと思ってはいつも断念してしまうのだが結論としては紙に書くという行為が長続きしないらしくその主な要因というのがやはりアウトプットの限界ということに思い当た

思いついたことをすぱすぱと書き連ねていくと結局タイピングしていったほうが早いしあと結構すぱーっと書いてから間違いを直すとかまるっと書き直すとかしたほうが性格としては楽なのでそうなったとき思考スピードとしてはPC上で書いたほうが楽である

twitterは140文字という制限が逆に足かせになってしまっている気がするし僕はだらだらと文章を書き連ねているほうがよっぽど楽なのである

仕事をするうえでどうも最近いやずっとかこの仕事を始めてからずっとそうなのだが会社にきて数時間ダラダラしないと仕事を始められないことのほうが多い

仕事の開始はさすがにそろそろ仕事をはじめないとまずいかな~というなんとなくの空気だったりするのだと思うがインプットの量(たいていは無駄な必要のない知識なのだが)がある一定以上にいくと気持ちが落ち着いたりする

何がしかの満足感のようなものを毎日仕事前にうみださないとどうやら働けないらしくそれが非常に困っている

仕事の能率が上がれば自分の時間も増えるしやりたいこともやれて人生の満足感も上がるのだがどうしてそうできないのだろうか

 

 

web上で日記のようなものを書くとどうしても公開したくなってしまうのはなぜなのだろうか碌な推敲もせずに考えなしに書いたこんな文章でも非公開にせずに公開してしまう

非公開にすれば紐づけや検索のできる便利な日記帳というだけであるのに公開するだけで某かの価値が生まれるかもしれないという気持ちがあるのだろうか 俺は某かの価値があるものを作りたいのだろうか やはり

不思議な夜

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水しぶき

エスカレーターのFOLLOW

ダンス

ゴースト

スロー

チョコレートドーナツ(2012)☆☆☆

泣ける映画ではあるのだが、どうも脚本に作為的なものを感じなくないのだが、ううむ。
差別されることの辛さに視線がいきすぎているような気がしてしまうんだよな。泣ける映画としてみたら確実なんだけど……90分台で泣かせにいくとこうならざるを得ないのか? マルコとの交流がもう少し欲しいし、主人公のオカマが少し感情的すぎるんだよなあ(だから法廷シーンが生きるんだけど)

タクシードライバー(1976)☆☆☆

チャップマンの撮影はめっちゃ良かった。
なんか消化不良なのでもっかい見ると思います。